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藤城康孝 顔画像・生い立ちやwiki経歴と現在は?高校は日生学園!加古川7人殺害事件

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日本では重罪を犯した人が死刑判決を受けます。

死刑囚となってもその執行日を知らされることはなく、ただその日に向かって生きていくだけという重い刑罰です。

死刑が執行されることは頻繁にはなく、やはりどんな大きな罪を犯しても死刑執行に判を押すのは嫌な物なのでしょうか。

2021年12月21日、3人の死刑囚に刑が執行されました。

死刑の執行はおととし12月以来です。

その中の1人に藤城康孝死刑囚(65)がいました。

この藤城死刑囚が犯した事件は「加古川7人刺殺事件」でした。

加古川7人殺害事件とは?

藤城康孝死刑囚が起こした「加古川7人刺殺事件」とは、平成16年に兵庫県加古川市で、隣の家に住んでいた伯母や近所の一家など男女7人を殺害したという事件です。

加古川7人殺害事件とは、2004年(平成16年)8月2日に兵庫県加古川市西神吉町大国で発生した大量殺人事件。無職の男F(犯行当時47歳)が両隣に住む親類ら2家族の男女8人を刃物で刺して7人を殺害、1人に重傷を負わせた。

(記事引用元:wikipedia)

wikipediaに掲載されている無職の男Fが藤城康孝死刑囚のことです。

当時は47歳だったのですね。

 

藤城死刑囚は少年時代から、本家に当たる伯母(当時80歳)や、近所の住民から、自分の家族も含めて邪魔者扱いされていると感じており、恨みを抱いていたそうです。

事件当時は東隣の伯母宅、西隣の男性(当時64歳)宅に挟まれた自宅に母親(当時73歳)と2人暮らしをしていました。

 

幼いころからずっとこの隣に住む伯母と男性とは言い争いも多く、殺人計画さえ立てていたということです。

同居していた母親に止められたこともあり、計画が失敗したこともあったようですが、着々と殺人用に道具を揃えていたようです。

 

事件が起きたのは2004年8月2日午前3時頃、藤城死刑囚は予め用意していた刃渡り約15cmの大型牛刀2本と金槌のうち、牛刀1本と金槌を持って自宅の東隣にある伯母宅母屋に侵入し、最初に伯母の次男(当時46歳)を牛刀で刺殺し、伯母を金槌で殴りつけました。

 

その後いったん家に戻ると今度は西にある男性宅に侵入して就寝中の男性、妻(当時64歳)、長男(当時27歳)、長女(当時26歳)の一家4人を次々と刺殺しました。

 

自宅に戻ったところ、伯母が助けを求める声を聴いたため、再度伯母宅に侵入したところ、騒ぎを聞いて伯母宅に駆け付けた伯母の長男(当時55歳)と、その妻(当時50歳)夫婦を襲い長男を殺害、妻にも一時意識不明の重体となる重傷を負わせ、逃げようとした伯母を刺殺したのです。

 

藤城死刑囚は自宅を放火した後、近所に住む弟宅を一人で訪れ、車に積んでいたガソリンの容器を示して「多数の人を殺した。母を頼む。わしはこのガソリンに火をつけて自殺する」と話し、さらに容器を車から降ろし、頭からガソリンを被って焼身自殺しようとしたが、弟に制止されたためその場を立ち去ったということです。

 

これが事件の詳しい内容です。

藤城死刑囚の主任弁護人を務めた明石博隆弁護士は、「(死刑)判決がそもそもおかしい。精神科医による3つの鑑定の結論がすべて心神耗弱なのに、一審から上告審の判決がすべて完全責任能力(を認めた)というのは到底受け入れられるものではない。死刑にされるべきではなかった」(記事引用元:Yahooニュース)

と言っていますが、とても計画的で残酷で冷静な事件のように思えます。

人を殺すという怖ろしい考えを持つ間、平常心でいられる人はほとんどいないと思います。

そんなことを考える時点でなにかしら精神は異常な状態なのではないでしょうか。

 

それを心身耗弱として死刑にすべきではないというのは、私はそれもまた違うような気がします。

藤城康孝の顔画像は?

21日、死刑執行された藤城康孝死刑囚の顔画像はこちらです。

(画像引用元:熊本日日新聞)

事件当時は48歳だった藤城死刑囚も死刑執行時には65歳でした。

藤城康孝の生い立ちは?

藤原康孝死刑囚の生い立ちです。

 

1956年(昭和31年)12月5日に3人兄弟(弟・妹が各1人)の長男として誕生しました。

少年時代から自分の家族も含めて邪魔者扱いされていると感じていたり、自分の悪評を流されているなどと思い込んでいました。

小学生時代から家庭内暴力があったということです。

 

近隣とのトラブルも多数あったようですね。

○刃物を持った姿を見かけられたり、車のドアを開閉する音や飼い犬の鳴き声を巡り、近所の家に怒鳴り込んでいた

○数年前、現場近くに住む80代女性は飼い犬を巡ってFとトラブルになり「殺してやろうか」などと脅されていた

○住民らが立ち話をしていると「自分の悪口を言うな」と怒鳴り込んできたことがあった

○畑仕事をしている人に石を投げつけるなどし、石を投げられた住民は警察に相談したことがあった

○車の通行を巡り西隣に住む男性(当時64歳)とトラブルになり、男性を車から引きずり出して地面に押し倒し、男性の長男が警察に通報しパトカーが出動する騒ぎがあった。その後も2人は険悪な関係で、住民は藤城死刑囚と西隣に住む男性が事件の1年ほど前にも路上でつかみ合いの喧嘩をした、という話を聞いたことがあるという

○住人の話では、事件の約3年前に藤城死刑囚の対応に苦慮していた住民数十人が地区の公民館に集まり、町内会長が交番にパトロールを増やすよう要請していた

 

なぜ邪魔者扱いされていると感じたり、悪口を言われていると思い込んだりしたのかはわかりません。

もしかしたら本当のことだったかもしれないし、単に思い込んでいただけなのかもしれませんが、とても生きにくい環境で育ち、生きてきたのかなという感じがしました。

 

そして小さな時から暴力で解決しようとする性格だったようにも思えました。

藤城康孝の現在のwiki経歴

藤城康孝死刑囚が死刑執行までに至る経緯がこちらです。

 

2005年1月28日:初公判 神戸地方裁判所(笹野昭義裁判長)

2005年3月11日:第2回公判

2006年10月12日:神戸地裁(岡田信裁判長)

弁護側の請求を受けて実施した精神鑑定の結果として「Fは精神障害の一種である妄想性障害」と診断し「犯行時、物事の是非や善悪を判断する能力は著しく低下していたが、完全には喪失していなかった」とする結果を公表した。

検察側はこれを不服として別の鑑定人による再鑑定を求めた。

2007年2月15日:再鑑定を決定

2009年2月26日:被告人藤城康孝に死刑を求刑

2009年4月9日:神戸地裁(岡田信裁判長) 最終弁論公判で弁護側は「藤城康孝は犯行当時、妄想性障害のため心神喪失か心神耗弱の状態だった」と述べ、無罪もしくは死刑回避を求めた。

2009年5月29日:神戸地裁第4刑事部(岡田信裁判長)は検察側の求刑通り被告人藤城康孝に死刑判決を言い渡した。

「藤城康孝は当時精神障害ではなく、人格障害の特徴を有していたにすぎない」と結論付けた上で犯行当時の藤城康孝の完全責任能力を認定し「冷酷かつ残忍な犯行で、7人の尊い生命が奪われた結果は重大である」と量刑理由を説明

2009年6月1日:大阪高等裁判所へ控訴

2010年2月26日:大阪高等裁判所での控訴審初公判

判決期日を取り消して弁論を再開することを決めた

2012年7月13日:「藤城康孝は事件の約2年前から妄想性障害となり、近隣住民とのトラブルを気に事件を起こした。犯行当時、善悪の判断能力は完全には失われていなかったが著しく低下しており、その判断に伴う行動が難しい心神耗弱状態だった」という鑑定結果を報告し、完全な責任能力を認定した第一審判決とは別の見解を示した

2012年12月26日:「藤城康孝は犯行当時、善悪判断が難しい心神耗弱状態だったのに、第一審判決が完全な責任能力を認めたのは誤りである」と死刑判決の破棄を、検察側は「妄想に基づく犯行ではない」として控訴棄却をそれぞれ求め結審した

2013年4月26日:大阪高裁第4刑事部(米山正明裁判長)は第一審・死刑判決を支持して被告人藤城康孝・弁護人側の控訴を棄却する判決を言い渡した

2013年5月7日:判決を不服として最高裁判所へ上告した

2015年3月27日:最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)で上告審口頭弁論公判

2015年5月25日:上告審判決公判で一・二審の死刑判決を支持して被告人藤城康孝の上告を棄却する判決を言い渡したため、死刑判決が確定することとなった

 

被告人藤城康孝は上告審判決を不服として最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)へ判決訂正申立書を提出したが2015年6月10日付で棄却決定がなされたことで正式に死刑判決が確定した

 

どんな理由があっても自分のやったことは許されないこととわかっていたから焼身自殺をしようとした藤城死刑囚にもかかわらず、長い時間を精神異常で無罪あるいは刑が軽くなることを望んでいたのですね。

世間の反応

藤城死刑囚の死刑が執行されたことに対する世間の反応がこちらです。

最高裁で死刑が確定している件でありながらも、法務大臣が検討を重ねて

死刑を執行するというのは大きな矛盾ではないでしょうか。

死刑確定の中でも、大臣の判断で誰かを生かす、誰かを殺すという越権

判断をしてしまっているということになり、最高裁判決の意味がなくなります。

 

この死刑囚って、心神耗弱っていうよりも完全な統合失調症なんだよね

しかも、子供の頃から学校で刃物振り回してたような人間

下手すりゃ無罪もあり得た事件だよ

死刑は結構なんだけど、こういう人間には死刑は抑止にならない

医療保護制度をなんとかしないから、同じような悲劇が繰り返される

 

昔で言うところの仇討ちであればまだしも精神鑑定で何人殺害しても無罪とかありえない。被害者や遺族にはそんなこと関係ない。

アメリカみたいに懲役150年とかでも良いかと思うが税金でご飯食べるのは許されない。

身内か弁護士が払って欲しいです。

 

弁護士さんもたいへんですねぇ。

死刑執行後にも被告人を弁護するなんて。

被害者のことはどうお考えですか?

仕事だから弁護をするのか、弁護をしているうちに自分の主張は絶対に間違ってないと思い込んでしまうのか、それとも弁護を引き受けたからには負けてはいけないと感じているのか・・・

弁護士の仕事というのも複雑なのだなと思います。

税金の問題さえ解決できれば、私も死刑というよりも懲役が罪によって伸びていく懲役150年とかに賛成ですけど。

まとめ

「死刑判決確定から6年半。この日が来ることを待っていました。」こう答えたのは被害者遺族の1人でした。

自分の親族や大切な人を殺されて、心神喪失による無罪や減刑を主張している藤城死刑囚に対して願うことはこれだけだったのでしょう。犯人がまったく反省していないのですから。

弁護士によって自分もまた精神異常でやってしまったから罪にならないかもと洗脳されていったのでしょうか。

一度は命を絶つ覚悟をした藤城死刑囚でしたが、自分の罪の重さを感じることはあったのかと聞いてみたい気がします。

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